田村はつゑ(はっちゃん)のwikiプロフィールや経歴は?【ノンフィクション】

こんにちは。
管理人の<まぁちゃん>です♪



今回は、食堂「はっちゃんショップ」を
切り盛りする田村はつゑさん
について

いろいろと調べていこうと思います。

はっちゃんショップ経営者「田村はつゑ」さん
出典:https://jisin.jp



田村はつゑさんは大人500円で食べ放題、
子供は無料で食べ放題という、




100%赤字の食堂「はっちゃんショップ」
を切り盛りするおばあちゃんとして、



2020年8月2日放送の
「ザ・ノンフィクション」

出演されるということです。



そこで今回は、はっちゃんショップ
切り盛りする田村はつゑさん

プロフィールや経歴

にスポットをあてて
調べていこうと思います。



いっしょに確認していきましょう。
それでは、お楽しみに♪



はっちゃんショップについても気になる♪




【ザ・ノンフィクション】には
こんな方々も出演していました



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1.はっちゃんこと田村はつゑのwikiプロフや経歴は?

それではさっそく、大人500円で食べ放題、
子供は無料で食べ放題という、



100%赤字の食堂「はっちゃんショップ」
を経営している田村はつゑさんの



プロフィールや経歴について
確認していきましょう。

田村はつゑさんのプロフィール

出典: https://news.livedoor.com



名前  :田村はつゑ(たむら はつえ)
生年月日:1935年9月12日
年齢  :84歳(2020年8月現在)
出身  :群馬県桐生市
職業  :はっちゃんショップ(食堂)経営
姉弟構成:三人姉弟
長女  :田村はつゑ
妹   :キミコ(3歳年下)
弟   :貞吉(5歳年下)
家族構成:旦那(故人)、子供(3人)
孫   :6人
やしゃご:6人





田村はつゑさんの経歴

田村はつゑさんは群馬県桐生市で
生まれ育っています。



桐生市は織物の盛んな町で、
父親の留吉さんは機織り機の修理を、



母親のサダさんは機屋で仕事をして
生計を立てていました。



長女の田村はつゑさんが誕生以降、
一家は苦境続きとなります。



まず1938年に渡良瀬川が氾濫し家を失い、
太平洋戦争で父の留吉さんは徴兵されます。



このとき一家は大変貧しい状況で、
野草の七草やアザミ、小麦を煮出した物を



主食として食べ、ときには食べものに困り
人様の家の庭に実っていた柿や栗を

盗んで食べたこともあるそうです。

実母の死

そんな貧しい家庭環境で暮らしていましたが、
母親の愛情をたくさん受けて生活していたため、

辛くても頑張れました。



しかし、終戦し父親が無事復員したあと
母親のサダさんが病気で倒れ、

32歳の若さで亡くなってしまいました。



しかもその死から1年も経たないうちに、
父親は継母を連れてきたのですが、

その継母は父親の昔からの浮気相手…。



「継母に懐くことなど到底できない」
と感じていた田村はつゑさんですが、



継母も田村はつゑさんを疎ましく
思っていたのか小学校に通わせてもらえず、

10歳で奉公に出されてしまいます。



そんな田村はつゑさんは今でも
読み書きはひらがなしかできないということです。



今では当たり前のように受けることができる
教育を受けられず、働かされる毎日・・・

本当に辛かったと思います。



しかも奉公先では多々イジメを受けることがあり
そんな中で父親が奉公先に訪ねてきては、



わずかばかりの給金を前借していく、
なんてことも当然のようにあったため

自由に使えるお金はほぼありませんでした。

酷すぎる話ですよね...。




田村はつゑさん映画館で運命の出会い

田村はつゑさんは17歳になり、
住み込みの機織りの職に就くと、



このときも父親が3年分の給金1万円を
前借りしていきます。



自由に使えるお金は、月々のお小遣い
200円だけでした。



当時、田村はつゑさんは月に2日だけある
休日の映画を観るのが唯一の楽しみでした。



田村はつゑさんがいつものように映画を楽しんだ
帰り道「お姉ちゃん、ようかんおごってよ」

とナンパ目的で声をかけてきた人がいました。



田村はつゑさんは即座に「買ってくるわ」と、
30円するようかんを買いにいきます。



当時、200円のお小遣いで生活する
田村はつゑさんにとって大きな出費でしょうが



男性の顔が嫌いなタイプじゃなかった
ため買ってあげたそうです。



男性の名前は田村昇三さん



この出会いをきっかけに2人は付き合う
ようになり、交際して1年で結婚します♪

夢のために貯金

結婚した田村はつゑさんは、
旦那さんと新婚生活ををスタート。



結婚してから2年後に長女を出産し、
その後も2人の子宝に恵まれ、



幸せな生活を送っている中でも、
父と継母はたびたびお金を無心に来ます。



田村はつゑさんはそのつど、
お金を工面したそうです。



親へのお金の工面と、生活費を稼ぐため、
常に2つ3つパートを掛け持ちしてましたが



それでも家計は苦しく、服はいつも一緒で
同僚にバカにされていました。



それでも田村はつゑさんは夢のために
頑張り続けました。



その夢は「1人で修学旅行をすること」



学校に通えず、修学旅行に行けなかった
田村はつゑさんは、いつしか修学旅行を

することが夢になっていました。



そのため節約生活を15年続けて、
300万円もの貯金に成功します!



1970年代当時は大卒の初任給が8万円の時代。

その中で、300万もの資金を貯めたのは
本当にすごいですね!




田村はつゑさん日本一周の旅に出る

300万円を貯めた田村はつゑさんは、
「どうせなら日本を一周したい」と、

57歳で日本一周の修学旅行の計画を立てます。



当然、旦那さんは漢字をまともに読めないのに
日本一周なんてできるわけないと猛反対しますが



田村はつゑさんは、「どうしてもダメと
言うなら離婚してくれ!」と言い放ち、



その意思の強さと熱意に押され、
旦那さんは日本一周旅行を許可します。



旦那さんから餞別として100万円を受け取り
成人した子供たちや友人から餞別をもらって



計500万円を手に田村はつゑさん
数十年遅れの修学旅行に

”原付バイク”で旅に出ます。

田村はつゑさん30人に見送られ旅立ち
出典:https://www.jprime.jp



もしも、旅先で死んでしまった
ときのために事前に墓地を購入し、



日本一周したことを証明するために、
県庁でもらえるスタンプを集めていきました。



ちなみに、墓地の値段は24万円だったとのこと。
色々と準備して出かけたんですね( ̄▽ ̄)

104日かけて日本一周制覇!

その道中では原付のタイヤがパンクしたり、
目的地の北海道長万部町の感じが読めず、

通り過ぎてしまったり、



旅する中で多くの人から優しくしてもらい、
人に親切にしてもらうありがたみを

強く感じたそうです。



色々な人の情けに触れながら、
田中はつゑさんは出発から104日目に



ついに全都道府県のスタンプを集め
故郷の桐生市へと戻ってきます。



そして日本一周を終え帰宅したとき
家の前には何人もの人が



出迎えてくれたことが、
心から嬉しかったそうです。



そんな人々の暖かさに支えられて
無事に旅行を終えることができたんですね♪



このお店についても気になる♪




【ザ・ノンフィクション】には
こんな方々も出演していました



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2.田村はつゑさん「はっちゃんショップ」スタート

田村はつゑさんは日本一周を終えて5年後、
長年勤めていたパチンコメーカーを定年退職し、

老後をゆっくり過ごすのかと思いきや、



「新しい仕事がやりたい」と和菓子や総菜を
作っては近所の人に売る「行商」を始めます。



行商が軌道に乗り評判が高まると、
周りから総菜屋ではなく食堂を開いてほしい

と要望が来るようになりました。



田村はつゑさんは日本一周で多くの人から
親切にしてもらった経験から、



「日本全国の人に恩返しがしたい」
なんと62歳から食堂「はっちゃんショップ」

をオープンします。



自宅の物置を改築してオープンした食堂
「はっちゃんショップ」の営業スタイルは

飛び抜けたものでした。
・時間無制限のバイキング形式
・大人は500円で食べ放題
・子供は無料
・残りが少ない場合は300円しかもらわない
・県外から来たお客さんは無料(開店当初のみ)
・お客さんにジュース代をあげるときがある


もちろん、この営業スタイルでは
赤字にしかなりません・・・(-_-;)



この破格のコストパフォーマンスが評判を呼び、
食堂にはお客さんが大勢詰めかけますが、



客足が増えるほど「はっちゃんショップ」
赤字は膨らんでいきます。



毎月の赤字額は7万円〜8万円・・・!



この赤字額を自身の年金と亡くなった
旦那さんの遺族年金で補填し、



はっちゃんショップは2020年8月で、
オープンから22年になります。



なぜ、こんな商売にもならないことを
今なお続けているのかというと、



人生で幼い頃に受けたいじめや、
日本一周で受けた優しさから



人には優しくするべきとボランティア
のような経営を続けているんですね。
「こんなもうからねえことやって『バカのやることはわかんねえ』ぐらいに思われてるかもな。
でも幼いころ奉公先で意地悪されたことも、57歳で出かけた原付日本一周の旅で、優しくされたことも、オレは覚えてる。
だから人を泣かせるもんじゃねえって思うし、人にはうんとよくしてやるつもりだよ」
出典:https://news.line.me


そこには「お金を稼ぐ」こと以上に大切な、
田村はつゑさんの「恩返し」の心が

詰まっているんですね。



これからも、食堂経営をがんばってください♪



この人についても気になる♪




【ザ・ノンフィクション】には
こんな方々も出演していました



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3.田村はつゑさん「ザ・ノンフィクション」に登場!



出典:https://www.fujitv.co.jp



500円食べ放題の食堂「はっちゃんショップ」
を切り盛りする田村はつゑさん
は、



2020年8月2日に放送の
「ザ・ノンフィクション」



おなかも心もいっぱいに
〜ばっちゃんの幸せ食堂〜


と題して登場されます。



客が来れば来るほど赤字になる
はっちゃんショップ



田村はつゑさんはなぜ、赤字にしかならない
食堂を22年間も続けているのか?



そして新型コロナの影響を受けて営業休止
することになったはっちゃんショップ。



営業休止から2ヵ月半経ち田村はつゑさん
食堂の営業再開を決めるのですが・・・。



はたして、はっちゃんショップ
無事に営業再開をできたのでしょうか?

番組が楽しみですね♪



<語り>
黒木華

<番組テーマ曲>
曲名  :サンサーラ

作詞作曲:山口卓馬、書上奈朋子

歌   :竹原ピストル



この人についても気になる♪




【ザ・ノンフィクション】には
こんな方々も出演していました



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田村はつゑさんwikiプロフ・経歴・まとめ

今回は、500円食べ放題の食堂
「はっちゃんショップ」を切り盛りする




田村はつゑさんのプロフィール・経歴
についていろいろと調べてきました。



幼少のころから激動の人生を送り、
定年退職をしてからも働く道を選んだ



田村はつゑさんがお店を続ける理由は、
商売ではなく恩返しだったんですね。



自分でお金を払ってでも人に尽くす
田村はつゑさんの人生がこれからも

幸せに満ち溢れますように応援しています♪



それでは、
今日も、最後までご覧いただき、
ありがとうございました(*^_^*)



はっちゃんショップについても気になる♪




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こんな方々も出演していました
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